ツインレイや精神の話とか。

自分への許しと自由

誰かの言葉や行動に「許せない」という意識を持つ時は、あなた自身がそれらの言動を持つことを許せていないから。あなたが外側で裁いている“誰か”は、本当は〈あなた自身〉のことだ。 あなたがあなたの全てを許せた時、外側の事に、以前のようには反応しなく…

地球という場所での在り方

個としての“私(自我)”があるから、現象を見ることが出来て、それに感情や感想やら色々と思うことが出来る。その奥の、観察者のいない視点は、“私”という者がないので、ただ現象をそのままに観察しているだけ。見通しているだけ。 その二つの所(多次元である…

既に知っている、ということ。

私は、時たま見えてくるある特定の映像等を、これまで“予感"と呼んで認識していた。それが曖昧な予感ではなくて、(大まかなものだが)今後そうなるという明確な事実であることに(個人の意識ではなく)気が付いた時、同時に、“予感"と名付けて見ていた景色を自…

“問題”を手放す

何事かの根本的な解決をしたいのであれば、解決しようとすることを止めてみることです。“問題”があるとして、それを思考で解決させようとしても、それは一時的な解決にしかならないです。問題として捉えたものを、「どうして問題だと思ったのか」ということ…

還るときには

いつかは誰もが、自分の一対の相手と出会う。自分がここに居るということは、その相手も必ず居るということ。同じ場所であったり、ここではない別の場所であったり、くっついて一緒にいたり。還るときには、また一つ。その時を皆待っている。ここや別のどこ…

魂の選択

私という個の体験上からですが、執着も外れた、思考無きところからの選択に、『レイ相手と三次元(肉体)的に一緒にいること』があります。それは、自我無きところからの自我の選択と言いますか、言い換えて、魂からの選択とも言えますが、そんなところからの…

ある日のビジョンの2

[ある日のビジョン]に続く後半部分にあたるだろうビジョンは、前半部分を見るよりもずっと前に、一度見た映像でした。その後、二度目に繰り返して見せられた時は、今から一月ほど前の、眠りに就こうとした矢先でした。何の前触れもなく始まった映像には、…

ある日のビジョン〈光の記憶〉

最近、眠りに就こうとした時に見せられたビジョンが一つありました。それは、私が〈私〉として肉体を持つ前の様子に見えました。その日の日中、「はじまりはどこだろう」とふと思った瞬間があり、その時に、ぶわーっと広がった光を垣間見ていました。どうや…

〈誰か〉の思考

頭の思考が収まらない時は、誰か(の概念や観念など)を招いているからでもあって。その誰かの意見と自分の意見との摩擦が、あれでもこれでもないと言って思考をしていたりするよ。 あなたにはあなたの言い分。 誰かには誰かの言い分。 そのどちらが一番正しく…