ツインレイと精神の話とか。

内側を見ることについて(補足)

[内側を見ることについて]であれこれと書いていることは、最終には〈統合〉へと向かっていくためのものでもあります。(人によっては宇宙という表現感覚ではないかもしれませんが、)内を見つめ続けていくと宇宙があります。それは他を見るときにも他の中にあり、一つ一つの存在そのものが一つの宇宙(の顕れ)であることが分かります。つまりは、全ては皆根源そのものである、ということです。
それを体感して腑に落とすには、内観し、“内と外”或いは“陰と陽”、“女性性と男性性”、といった二分されているそれらを統合して、全ては一元であった、一つであったことを思い出していくことになります。“私と私以外”という分離感覚から、“私はあなた”であること、全体性の一つであったことを体感していくのです。

統合は、ツインレイ間だけの話ではなくて、観念等や過去世などを昇華、浄化しきっていくと、一人であっても起こります。ツインレイの場合は、必然的にそれが起こっていくのです。ツインレイという関係性の中で、何故そのような根源愛を思い出すことが起こるのかと言うと、それは、宇宙のサイクルにおいての必然だからです。ソウル関係とか関係なく、我々は誰もがその循環の一つの顕れとして表現している体現者です。

あなたの道程に愛を込めて。

自分にOKを出す

自分にOKを出せた分、あなたの世界にはあなたへの許しが出されていく。
でも、本当ははじめからずっと、あなたはあなたという宇宙に許されているんだよ、全部。許されているということに、自分で制限を掛けているだけなんだ。

自分に「OK!」て言ってみてね。
誰かに優しくするみたいに、ありがとうって言ってみてね。

内側を見ることについて

内側の一つの道][魂の選択]などで、相手が自分のツインレイかどうかを知るには〈内側を見つめていく事〉と書いていますが、それは、三次元の肉体視点だけやエネルギー部分の体験だけに偏って注視したりすると、本来とは違って見えてくるからです。また、“ツインレイ”という言葉に何らかの観念などがある場合も同様に、偏った視点で相手との関係性を見ていたりします。

三次元恋愛の駆け引きだとかの類いは、ツインレイの関係には当てはまらないので、そこから関係性をどうこうしようとしても解決にはなりません。分離意識が強くあるなら観念等を見て昇華していく必要がありますし、ツインレイという言葉に概念などの意味付けや執着があるなら、そこを解放していく作業も必要になるでしょう。そういう昇華作業を繰り返していくには、必然的に自身の内側を見つめていくことになります。
それから、エネルギー部分の体験においても、そこに何らかの概念や観念を持って見ているなら、それらを外す必要があります。エネルギーは根源から(というか、我々は根源そのものでもあるので、言葉上の表現になりますが、)体を循環していますし、シフトや覚醒体験などが起こる時にもエネルギー的な体感をする事があるので、“エネルギー体験・体感=ツインレイ"としてしまうと、やはり、視点の偏りになってしまいます。

自分がどういう視点や観念などから相手との関係を見つめているのか、そこを内観して、昇華していくことで、ツインレイという概念からも解放されると思います。その上で見えてきた互いの関係性が一対のツインレイではなかったとしても、それは、必然としてその途上で出会った大切な人であることには変わりありません。


個人的に、疑似体験みたく三次元的な恋愛で遊んでみたりするのは面白そうだなぁとか考えたりもしますが、それには個人意識とか諸々フィルターがないと本格的に楽しむのは無理そうなので、結果、お互いが分かった上でのコント的やり取りにしかならなそうだなぁと、そんなことを思ったりしました。それはそれで楽しそうですけどね。


あなたの道程に愛を込めて。

ブログの話

ブログを始めてから三ヶ月くらいが経ちました…と言っても、過去記事の大半は、消しましょうが起こるとぷつっと消してしまうので、いつもブログ上にあるのは最近の記事ばかりですけれども。そんなブログ形態の中、読まれた方には在り難いなあと思っています。

私が一番最初にブログを使って文字を書き始めたのは、確か4,5年前だったと記憶しています。その頃は、自分の気付きの書留だったりがほとんどで、年を経ていく毎に、精神の話とか自分のツインレイ体験とかを書いていたりしました。そうして、止めては始めて、また止めては始めて、幾つかブログを改めながら、自身の内観目的も含めてブログを続けていました。
今こうしてブログをしたためているのは、誰からとか何処かからではなく、内側からぼこぼこ発生する感じに言葉が溢れなどし、書き出しが起こるから、というものがほとんどです。発生したそれを言葉変換しつつ一旦頭に留め置いて、そのまま後回しにしたり、自我判断して書かない選択をすることもありますが、大抵、結局はパソコン開いていたり、スマホ握ったりしていて、ぽちぽち書き起こしするという、そんな感じです。特に誰に向けてとかもなく、顕れの一つという私が、ただ文字起こししているだけのものです。その“私”もないのですけれども。
文字にしてる時や後から補足や書き足しなどする時、文字配分の見やすさや文法などの分かりやすさなどは思考して書いていますが、その確認作業は頭を使うので時間が掛かりますし、疲れます。「この漢字だったけ?」とか調べたりとかしても誤字はあったりしますが(笑)。言葉がどっかに飛んだりとかするので。

そんな緩い感じです。そして、そんなところから見える他の方の世界も、ほんとに面白いなぁと思っています。自分も含めて、皆天晴れだなと。
私という顕れはそんな感じの人です。この記事も後で消しそうですが(笑)、書いたら今さらな自己紹介みたくなりました。

あなたの道程に愛を込めて。

魂の選択

私という個の体験上からですが、執着も外れた、思考無きところからの選択に、『レイ相手と三次元(肉体)的に一緒にいること』があります。それは、自我無きところからの自我の選択と言いますか、言い換えて、魂からの選択とも言えますが、そんなところからの幾つかの創造の中に、その選択(という必然)がありました。それをまた別の言葉で表現するなら、役割とか使命とか、そういったものになるのだろうなと思います。
観念も多く、自我も強くあった頃には、“一緒になること”が執着からくる羨望なのだろうかと思うこともありました。自我でもってして、それを取り除こうとしたりしていた時期もありました。けれど、今こうして個人意識も外れているような中から思い至り、見えてくるのは、一緒にいることの選択の先には、宇宙の循環、顕れの一つとしての、意図された(してきた)創造でした。


話の視点が少し変わりますが、ツインレイ同士で三次元的に離れている時、「本当のツインレイではない」という認識がある場合がありますが、レイ同士でも他のソウル関係でもどの存在間でも、本当は誰も分離してはいません。ですが、三次元(肉体)視点だけで見たり、分離の概念などが強くあると、レイ同士であっても分離感覚は強く残るだろうと思います。
ツインレイであっても肉体的には離れて暮らす選択をしてきている人もあると思いますので、本当にツインレイなのかどうかという問いには、やはり、自らの内側を見ていくに限るだろうと思いますし、また、それぞれの個々の魂がどんな選択をしてきたのかを知るにも、自身の内を見ていく他にないだろうと思っています。

あなたの道程に愛を込めて。

分離という認識 (補足)

善悪・光闇の認識がある時、そこには、それを判断するための何らかの概念や観念等が〈基準〉として存在しています。けれど、本来は基準というものは存在しません。それが有るように見えているのは、それを認識するためのフィルターがあってこそなので。
基準とした概念等が、“私”という者にとってどんな意味合いがあるのか、また、意味付けを与えているのか、という部分を見つめていくと、善悪・光闇などの認識は無くなっていくと思います。優劣などもまた然り。

先に書いた[分離という認識]の補足的に呟いてみました。
再三の事ですが、善悪や優劣などの認識を持っていることがダメなのではありません。こうしていくとそのフィルターが外れ易くなりますよ、というお話です。外すも外さないも、自由です。

ある日のビジョンの2

ある日のビジョン]に続く後半部分にあたるだろうビジョンは、前半部分を見るよりもずっと前に、一度見た映像でした。その後、二度目に繰り返して見せられた時は、今から一月ほど前の、眠りに就こうとした矢先でした。

何の前触れもなく始まった映像には、二人の子供の姿がありました。一人は少年で大体小学生ぐらい、もう一人は少年よりももっとずっと幼くて、生まれてからまだ数年しか経っていないように見えました。隣り合った幼い子供の様子を少年は見ていました。そして、「早く大きくなってね」というような言葉を掛けていました。
男の子がまだ少年であった時は喜んでいる様子でしたが、映像が回って、時間の経過が見えてくると、だんだん悲しんでいるように見えました。そこには、“気付いてもらえない”という感覚がありました。

ここからは、一部分が、映像から感覚的なものへと変わりました。ぐるぐると時間の巡る中伝わってくる感覚は、“苦しくて離れたいけど、離れられない”や“いつかは気付いてくれる”といったものでした。感覚を言葉に変換して受け取っているような状態だったので、まるっとそのままの言葉ではないと思います。近い表現、とかであるかと。

肉体の年齢的にいうと、私の方がレイ相手より何年も後に生まれていますし、相手がこちらの方を随分前から知っていることなどから察するに、これらのビジョンは、これまで相手側が辿ってきた一部なのかもしれないと思っています。そして、相手の記憶のようなそれを私側が追体験するように見た訳は、〈ツインレイが一つの魂である〉と言われている事からだろう、と思っています。